動物の気持ち
昨日は朝から子供たちと動物園へ。
コロナのこともあるので、朝一番に入場して混み始める頃には帰り、お昼ご飯はおうちで。というお気軽日程。
車で15分の距離だからできる。
途中休憩は10時前。ガラガラのフードコートで子供たちも大好きなドーナツとコーヒーを。
沖縄のお店だというボールドーナツ専門店。
初めて食べて以来、動物園に来るといつも立ち寄るのが決まりとなってしまった。
揚げたて熱々。きび砂糖をまぶした素朴な味がおいしい。
動物園は上の子が赤ちゃんの頃から年に5回くらい行っている。
子供はもちろん喜ぶし、親としても公園の遊具で遊ばせるより楽な気がする。
そういえば一時期、動物園という存在にモヤモヤしていたことがあった。
「動物を捕まえて檻に入れ、見せ物にするなんて、人間のエゴじゃないか」と。
自分が動物の立場なら絶対イヤだと思っていた。
確かバーバパパの絵本でもそんな話があった。
動物園に連れて行かれる檻の中の動物たちを、バーバパパがサバンナに送り帰してあげる、という話。
もちろん物語はめでたしめでたし。
私もバーバパパの思いに共感していた。
けど、最近はそのモヤモヤをあまり感じない。
「もしかしたら動物たちにとっては、危険を感じることもなく、大切に育てられて、子供たちに喜んでもらえる、そんな生活も悪くないのかも」なんて思ったり。
動物がそんな風に自分の状況を頭で分析することはないんだろうけど、
でも、危険とか、悪意とか善意とか、食べ物がない苦しさとか、そういうものは感じるに違いない。
毎日お世話してくれる飼育係さんの愛情。子供たちの笑顔。それは善意意外の何ものでもないはず。
見た目にはなんとなく艶がないし、あんまり元気もなさそうだし、明らかに運動不足だろうけど、だからって「不幸」と決めつけてはいけないのかも、と思うようになった。
広い草原を走るより、餌をもらって安心して暮らせる方が、もしかしたら幸せなのかも。
年を重ねてくると、自分の考えがいかに独りよがりだったか思い知らされることがよくある。
「これが正しい!」と思っていたことが、何かのきっかけでひっくり返ることもあるし、
誰かを批判していたけど、逆の立場になったら自分も同じことをしてしまったり。
そういう経験を重ねると、色んなことが許せるようになったり、どれほど「言うは易し」なのか痛感して、人に口出しできなくなったり。
みんなそれぞれ事情があって、その中で自分なりにがんばっているはず。
「相手の立場になって考えなさい」なんて言われても、本当に自分以外の誰かの立場になることなんてできないんだと思う。
だから、相手に対してできることは、ただ見守り、尊重すること。そして幸せを祈ることだけなのかもしれない。
…動物の話から大分それてしまった。
今日は久しぶりの本降り。
そして久しぶりに夫が朝から外に仕事に行っている。
静かな静かな一人の時間、のんびり家事をして過ごそう。