密度が大きな問題だ
コロナとか、3密とか、そういう話じゃない。
私個人の感覚と、住居環境の話。
私の最も苦手なもののひとつが、「人混み」。
どこに行くにも、「混んでいないか」ということをかなり気にする。
同じショッピングセンターでも、平日の朝一番に行くのと、土日の午後に行くのとでは、まるで世界が違う。
土日のフードコートなんてもってのほか。
とても落ち着いて食事なんてできない。
なぜみんなが休みの日にわざわざ家から出てあんな混雑の中でご飯を食べようとするのか、疑問に思ってしまう。
お店や食事だけでなく、例えば温泉とか、子供と行く公園ですら、ガラガラの貸し切り状態が最高だと思う。
人が少なければ少ないほど、そして、回りを気にせず動けるほど、自由で快適。
「HSP」という言葉を最近よく目にするけど、多分私はそのタイプだと思う。
回りに人がいると、感覚がそっちに持っていかれてしまう。
コミュニケーションでもそう。相手に合わせようとしすぎて、自分がどこかに行ってしまう。
そして、一人になった途端、やっと自分に戻ってきてほっとする。
「パーソナルスペース」という言葉もある。
心理学とかで知った言葉だけど、
意味としては、
その人に必要なスペース、
つまり、
「この範囲より内側に入ってこないでね」
という距離感のことらしい。
これは結構個人差があるらしく、半径50cmで大丈夫な人もいれば、2mくらいないとダメ、という人もいる。
もちろん、隣に来る人との関係や、場の状況によって大きくかわるけど。
なんにせよ、私たちは人との距離を常に気にしているようだ。
例え自覚がなくても、「人が多いとなんか疲れる」みたいなことは誰にでもあると思う。
なんでこんなことを考えたのかというと、
最近、土日にストレスを感じやすい自分に気づいたから。
もともとお出かけの少ない家族だけど、コロナでさらにインドアになった。
マンションなので庭もない。
土曜日は夫が仕事に行ったりもするけど、日曜と祝日は家族4人で狭いマンションの中で1日過ごすことになる。
下の子ももう6才で、赤ちゃんの頃とは存在感が違う。上の子だって、 もう大人に近い身長になってきた。
3LDK、75平米。
ここにまともに4人は狭すぎるんじゃないか?
最近の土日のうっすらとしたストレスはそのせいなんじゃないか?
誰がどこで何をしているか、嫌でもわかってしまう。
トイレに入ったとか、ベランダに出たとか、食べ物を物色しているとか、すぐに気づく。
そして、私には自室がない。
居場所はリビングしかない。
他者に対して人一倍敏感で、土日といえども私だけは家事という仕事がある。
忙しい上に、つかの間の静かな休憩も無理。
これがストレスにならないはずがない。
ネズミだか虫だかの生態研究で、人口密度の実験の話を何かの本で読んだことを思い出した。
ケースの中に一定以上の数を入れて飼育すると、その密度がストレスとなっておかしな行動に出るようになるらしい。
ケンカが始まったり、鬱っぽくなって病気になったり、育児放棄したり。
果ては繁殖がうまくいかなくなって全滅してしまうらしい。
「人間だって動物なんだから、同じことが起こるんじゃないの?」
と思い、人が暮らすのに適正なスペースを検索。
そしたらなんと、
「独り暮らしの人の最低面積は25平米」と国が推奨しているというのだ。
単純に4人なら100平米ってこと?
さらに、とある不動産会社のサイトには、「家族で住む場合、4人なら125平米は必要」とある。
125?!
うち75平米だけど?!
やっぱりそうなんだ!やっぱり狭いんだ!
と、激しく納得した。
ストレスを感じてしまうのは、生物学的に仕方ないのだ。
私の神経質な性格が悪いわけでも、うちの家族が仲良くないからでもない。
そうなんだ…
納得できて嬉しいような、自分の暮らす環境が悲しいような、、、
だからと言って今さら広い一軒家を買うのは現実的ではない。
子供は早ければあと数年で出ていくかもしれないし、マンションの暮らしやすさは気に入っている。
ただ、今後の選択肢として、「密度が高くてストレス」ということを理由に住居環境を考え直すのはアリだということ。
子供が大きくなったら、「狭いから誰か出てってください」と、堂々と言える。(できれば夫が出ていくのがいい)
実は以前から、夫が定年後は「卒婚」をして独り暮らしをしたいと密かに考えているのだけど、その前の段階として、もう少し広々とストレスなく暮らす方向でいきたい。
やっぱり回りを気にすることなく一人でのんびりする時間はものすごく大切なんだと再確認したのだった。