ルーティンな日々の中に
ちょうどコロナが騒がれ始めた頃に仕事を辞めました。
「たまには遊びにきてねー」「またお茶でもしようねー」なんて言いつつ、職場の仲間とはそれっきり。コロナのゴタゴタで会おうにも会えなかったと思いますが、やはり大人になってからの同僚やママ友ってそういうものですね。
なんの接点もなくなったのに、わざわざ連絡して会おうとは思わない。仲もよかったし、「今頃どうしてるかなー」って思い出すんだけど、それ以上でもそれ以下でもなく。
息子が保育園のときは、園の先生達や他のお母さんたちと、送り迎えのときにお喋りしたりしましたが、この春小学校に上がってからはそういう交流もなくなりました。
考えてみると、家族以外ほとんど喋らない。夫ともあまり話さないから、会話するのはほぼ子どもたちだけですね。
こう書くとなんだかすごい寂しい人みたいですが、そんなことはありません。お母さん同士のお喋りは確かに気晴らしになることもありましたが、どちらかというと気疲れの方が大きかった。
「今日の話はちょっとつっこみすぎたかな」とか、
「前にシフト交代してもらったからお礼言うのを忘れないようにしなきゃ」とか、
「速く帰りたいのに一人だけ輪から抜けるのも…」とか。
今は家族以外のことではほんとに自由。
今日はどこに行こうかとか、頭が痛いから大人しくしとこうとか、誰に気を遣うこともなく、自分の思うままに過ごせます。
子供が帰ってくればひとり時間は終了ですが、他人を相手にするよりずっと気楽なわけで。
っていうか、一体どれだけ人に気を遣って生きてきたんだ〜って感じですね。そりゃ疲れます。でもそういう性分だからしょうがない。無理して自分を変えるより、心地よい環境を選ぶようにする方が楽です。
まあそんなわけで、毎日大した出来事もなく、用事と言えば子供の学校のことくらいで、基本は非常にルーティンな生活。
でも、それが私にはとても心地よい。
小さな小さな出来事や変化だけで十分です。
例えば今朝の朝焼け。
息子との散歩途中の大きな木。
毎年すごい数の実をつけますが、なんの木なのか分かりません。
秋は一番好きな季節。
そろそろキンモクセイが香るかな?
河原の草刈りももうすぐのはず。
高い空と草の香りの中で子供と思いっきり遊ぶのが楽しみ。
そんな小さなことで、私の暮らしは満たされています。